coco

心をちょっとずつほぐしましょ

大事にしたい点

まず、基本的なことを押さえておくと

衆議院選挙では、①小選挙区制と②比例代表制

選挙が同時に行われ、有権者は①で自分の住む

地域の選挙区の候補者を1人選び、②で支持する

政党を選ぶ。

 

①では人を、②では団体を選ぶ。

自分の意見を、託すのです。

 

でも、その人や団体が、「私」個人の意見を

そのまま国会で伝えて、私に直接何か利益を

もたらしてくれることは、まずありません。

 

「誰がやっても同じ」という感覚は、こういう

ことからも生まれるのかもしれません。

 

だけど、本来、同じなはずはないと思います。

「誰がやっても同じ状態」にしているだけで。

 

「政治」ということばに、難しい、関わりたく

ない、胡散臭い、などのイメージが少なからず

あると思います。

だから、たとえば「政治家なんて、選挙の時だけ

愛想良くいい顔して」「ああ言ってるけど

実現できてないじゃん」と、思い込んで、それで

おしまい(自分とは関係ない)、ということにも

なるのかもしれません。

 

もし、「政治」じゃなくて、

「コミュニケーション」だったら?

社会人に必須と永遠に言われ続けているあの、

「コミュニケーション能力」。

あれって、一方的じゃないんだよ、

双方向なんだよ、というのが当たり前。

 

「政治家が一方的に言ってる」じゃなく、

「この人は何を言ってるんだろう?」から

始まり、それわかる!とか、違うでしょ!とか

自分の反応がある。それを、投げかけてみる。

そうすれば、自分にも相手にも、何か変化が

生まれる可能性が出てくる。

 

候補者と関わりを持つのは、後援会の皆さんだけ、

なんてことないんですよね。

 

とは言え、今はネットもあり、少しその辺の

距離感も変わっているのかもしれないとしても、

実際、そこまでするかと言うと私もわかりません。

したこともないです。

 

ただ、勘違いしてしまいがちだけど、

「ぜひ私(たちの党)に票を入れてください、

お願いします」「そんなに言うなら…」

とかいうものじゃない、と気づくことがまず

大事だと思うのです。

「私(たちの党)はこれについてこう考えますが、

あなたはどう思いますか。他にどんなことを

望んでいますか」

「あなたは私たちの生活をどのように良くする

つもりですか」

たとえばですが、お互いこんな感じで、要は

対等という意識がもっとあっていいし、

政治や選挙を特殊なもの扱いすることないと

思います。

 

古い政治では、そんなこと言ってたら動くおカネも

動かないだろうが、と黙らせられてしまうんです

かね。権力というものがなくなってしまうだろ、

って。

 

でも、今、日常を生きている私には、それこそ、

そんなもの関係ないわけです。

というか、それにお付き合いしてる場合じゃない。

 

それより、その人自身の考えを真摯に伝えようと

し、人の話をちゃんと聴こうとする人に、

任せたいと思う。

これって、日常生活や仕事の場面でも同じ。

 

私の場合は、選ぶときにまず大事にしたいのは

それかな、と思います。

(自分に甘い汁吸わせてくれるならそれでいい

じゃん、という考えもあるのでしょうが)

 

もし、政治を遠く感じている人がいるなら、

ひとまず、

「自分が力を入れている仕事で何かを任せるなら、

どんな人に任せたいか」

「自分が大好きな人にあげるプレゼントを、

どんなお店(どんな人)から買いたいか」

「自分のこどもをどんな学校に通わせたいか」

とかと同じように考えてみたらどうかなと

思います。

 

全然知らない、縁もゆかりもない人たちの中から

誰かを選んだところで、何か自分の暮らしが

変わるなんて、思えなくても当たり前だけど、

そこで少しでも歩み寄ることをしなかったら、

知らないうちに自分の今の暮らしが、守られなく

なるかもしれない。良くも悪くもならないかも

しれないけど、それを無邪気に信じるのは

今の状況を考えるとこわい。残念ながら。

だから、知らない人たちの中から、できるだけ

歩み寄ろうとする人を見つけたい。

 

今日は、どんな人を選びたいか、ということに

ついてでしたが、次は、どんなテーマを大事に

するかということ(雇用、教育、外交、とか)、

そのテーマたちの自分の中での優先順位などに

ついて考えてみたいと思います。

 

読んでいただき、ありがとうございました。