今年あったこと
今年の9月、祖父が亡くなりました。
介護施設にお世話になっていた祖父とは、コロナの影響で、6月以来、会っていないままでした。
その頃、私のことは何とか思い出したけど、祖母や母のことは、誰かわからなくなっていました。
亡くなった朝、始業後すぐ、父から連絡があり、急いで家に戻る間も、両親と施設へ向かう間も、息をしていないだけで、亡くなっているわけじゃないかもしれない、と思っていました。
3年前の夏の夜中、家で寝ているとき息をしていないと連絡があり、よりによって大雨の中、高速で1時間以上かけて病院に駆けつけたことがありました。
着いてみると、本人はケロッとしていて、何でもなかった。
そんなことがあったので、もしかして、同じようなことなんじゃないか、と…
でも、そんなことはありませんでした。
口数が少なく、働き者の祖父でしたが、お酒が好きなのはいいけれど酒癖が悪く、祖母や母など家族は、大変苦労をしてきたようでした。私も、嫌な気持ちになったことはあります。
「酒を飲まなかったらほんとにいい人なんだけどねぇ」と言われるような人でした。
家の中で転んで骨折し入院してから、日常生活を送るのが難しくなり、2年前から施設にお世話になっていました。最初は、帰りたがっていたけど、1年過ぎたあたりから、あまり色々言わなくなりました。施設のスタッフの皆さんは、とてもよくしてくださいました。
亡くなった日、個室で体を拭いたりしてもらって、施設を出る時、玄関の前に、たくさんのスタッフや先生がずらりと並んで見送ってくれました。悲しみではなく、感動して涙が出ました。
その人を尊重している態度だなぁと感心しました。
同時に、この場所では、ここで命を終えていった人たちを見送ることが、日常的にあっているんだなと思いました。
後で、葬斎場に祖父の担当をしてくれていたスタッフの方が来てくださった時、母が感謝を伝えると、「何もしてないですよ、いつもそれは食べちゃだめです、これもあげたらだめです、と厳しいことばかり言ってすみませんでした」と、本当に申し訳なさそうに言うのを聞いて、すごく心打たれました。だめ出しするのは、その人を思いやってのことなのに。
私はこの日、涙が出るのは、つまるところ、愛情があるから、愛情を感じるからだろうと思いました。
人が泣く時、辛い涙も悔し涙も、もちろんあるけど、嬉しかったり感動したりの方が、多いのかもしれません。辛さや悔しさも、自分や誰かへの愛情かもしれません。
その夜、私が生まれたのを一番喜んだのは、祖父だったと聞きました。どんなふうに喜んでくれたのか、見てみたいなぁ、と思う。
人は、いつか亡くなるものだけど、もう姿を見れない、話ができないのはやっぱり寂しい。この世のどこにもいないから。いつか、が突然であるほど、その思いは大きいと思います。
ただ、寂しくなるのも、その人との良い思い出があるからで、関わりがあったという事実は、永遠に事実だし、それは、この世での時間の長さでは計れない、貴重なものだと思います。
読んでいただき、ありがとうございました🙇🏻♀️