青い鳥、みたいな話
になってしまいました。
私にしか生きられない人生がある、って今日思った
ので今日ここに書いています。
毎日生きていると、ついつい人生をテンプレート化
する方向に考えてしまっている気がして
いろんな面から、それをじわじわ綻ばせてくれる
ような人を求めているのかもしれません。
そういう人は、一見、期待に応えてくれなかったり
するときがあるんだけど、ただ失望しておしまい、
じゃなくなぜかその人と関わると、自分の許容範囲
が広がっていくような可能性を感じて、むしろ少し
希望が見えるというか。
最近、「綻ぶ(綻びる)」という言葉が、いいなぁ
と思ってます。コトバンクを開くと、デジタル
大辞泉の解説が出てきて、そこには「綻びる」の
意味として
1 縫い目などがほどける。
2 花の蕾が少し開く。咲きかける。
3 表情がやわらぐ。笑顔になる。
4 隠していた事柄や気持ちが隠しきれずに外へ
現れる。
5 鳥が鳴く。さえずる。
いいわぁ。
話は戻って、というより、今書いた文章の書き換え
のようなものですが
私にしか生きられない人生がある、というのは、
当たり前のようでもあるけれど、何となく、自分に
起こる出来事や、何も起こらないことを、一般形に
当てはめてしまって
それが私にしか経験できてないという意味で
すごーく貴重なのよ、ということに気づけなくて、
満たされない気持ちになったり、自分はこれでいい
のかなと思ったりすることってけっこう多いと
思うんです。少なくとも私は、よくそんな風に
なります。
だけど、あらためて考えてみると、漠然と頭にある
一般形を求めているかというとそうじゃないかも
しれない。
いや、求めてないから、そうなってない。
翻って、いまの毎日に、自分の求めているものは
既に隠れているんじゃないか、と気づく。
それに、気づかせてくれる人、綻ばせてくれる人と
出会えたらそれは幸せですよね。