生きている側
だんだん、非日常が日常になりつつあると感じる。
これが、「一時的なもの」なのか、分からない。
今までのあたりまえが、どんどんあたりまえじゃなくなっていくんだろうなと思う。
「自分は大丈夫」と思っていても、誰かが感染し、誰かが亡くなっていく毎日。一日の終わりに、今日も私は、生きている側の人間として、家族や同僚と顔を合わせ、会話し、ニュースを見ていたんだ、と思う。
でも、戦争、災害、貧困、事故、病などで、「こんなはずじゃなかった」という状況にいる人、亡くなった人は、常にいたのだ、と思う。
自分は、それをすべて免れて、今まで生きてこれている。とても畏れ多いことだと思う。生きることは、本当はそれほど、不確かで命がけのことなんだと。