coco

心をちょっとずつほぐしましょ

戦うことがわからない

アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』

という本のタイトルを、読んではないけど、

食器を洗いながら思い出した。

 

そして、食器を洗いながら、思う。

戦争を企てる人たちは、どんな日常生活を

送っているんだろうか?

 

食事を自分で作ったり、部屋を掃除したり、

ゴミ出しをしたり、しているんだろうか。

どんな子育てをしているんだろうか。

 

愚問?

 

でも、言いたいのだ。

自分の世話きっちりしてみろよ、と。

自分が前線に立てよ、と。

 

何も偉くない人が、権力を持っているから、

軍を動かせる。軍人は、命令に従い、動く。

一般市民も、戦いに参加させられる。

建物が壊され、死人や怪我人や、不安で

怯える人が何人も出る。

 

あの国の指導者だけじゃない、非難したり

制裁したりする側の国の指導者たちだって、

もちろん、してることは悪いけど、

一方的に相手を悪いと責めるだけじゃ、

同じことの繰り返しだ。

自分たちが正しい、と主張する限り。

 

戦争ゲームが好きな人だって、本当に戦争

したいか、してもいいか、というとそれは

別だろう。

 

なぜ、一部の人が、本当にしてもいいの?

それを許す仕組みの中で私たちは生きている

からだ。言ってしまえば、何千年も世界中で

続いてきたことだ。

 

だけど、そんなの許せないと思う。

 

これが何の戦いかといえば、人の矛盾との

戦いじゃないかとも思う。

 

一人で何か食べて寝るだけの生活じゃなくて

人が集まって、協力していろいろ作って、だけ

でもなくて、いろんな面で対立もして、

じゃあ対立した時に、武器を作って、人を

殺すのは当然だ、もしくは、仕方ない、で

いいのか。

 

いいはずないってなってるけど、

みんな武器を捨てられない。

武器を持ちながら、それを使わないように

しましょう、っていうのが外交なのか。

 

単純に、武器を持たない、じゃだめなの?