coco

心をちょっとずつほぐしましょ

SNS社会を表す本と記事を読んで(1)

はじめに

今回は、読書感想文のつもりでした。

最近読んだ本の中に、朝井リョウさんの

『何者』(2012年)があります。

タイトルからしてひかれつつも、9年経って初めて

読みました。

 

SNSとリアルの間で生きる就活生たちとその

人間関係を描いた作品。

 

ちなみに、先に読み始めた

『どうしても生きてる』(2019年)

という作品があります。

いくつかの短〜中編が入っているのですが、

その中の「健やかな論理」という話が、

やはり「SNS上の人とリアルのその人」を

取り上げていて、さらに何か一貫性のある論理を

当たり前だと考えている人たちに疑問を投げかける

話で、唸らされます。

 

話を戻しますと、『何者』が刊行された2012年と

いうと、Twitterはもうある程度広まっていた頃

でしょうか。

この本の中では、主人公(語り手)の裏アカ

(とそれに伴う裏の顔?)が終盤にかけて

キーになってくるんですけれども…

 

その裏アカも含め、就活生のアカウントを企業は

調査している、という記事を今週タイムリーに

読んでですね。

 

いろいろと、私はついていけずに面食らって

おりまして…

 

そのことを、書こうと思います。

 

記事の内容

こちらの記事です。

朝日新聞「探られた裏アカ〜就活の深層」

https://www.asahi.com/sp/rensai/list.html?id=1317&iref=sp_rensai_article_short_1317_above_bn

記事によると、コロナ禍でオンライン面接が

増え、人柄が把握しづらくなっていること、

従業員のSNSへの不適切な内容の投稿に

悩まされていることなどを背景に、

委託業者に就職希望者のアカウントを特定し

その投稿内容を調査させている企業がある

そうです。

 

取材に応じた調査会社の方は、入社希望者には

エントリーシート提出時に委託調査への同意を

もらっており、法令違反にはならないよう

配慮している、と話しています。

 

私が感じたこと

まずは、結局のところそれで人柄がわかるの?!

次に、それって本当に問題はないの?

そして、SNS上の人間って一体何??

 

裏アカと言っても、フォロワーでない人が

見られるのであれば、鍵アカではないんですかね?

それなら公開してることにはなるんでしょうけど…

 

上のような疑問が出てくる私は、とりあえず自分が

どんな使い方をしているか振り返ってみました。

 

私のSNS事情(Twitterに関して)

私がTwitterのアカウントを作ったのは

2010年10月です。かれこれ11年、使ってることに

なります。

フォローしているアカウントの中には面識がない

人のものもたくさんあるし、フォロワーの中にも

面識がない人はいます。

いずれにしても、数は多くありません。

私のツイートのほとんどは、もともと知っている人

が見てくれることを前提にしてて、私はそこで、

その人たちに対面で見せることのない私を出すこと

はしてないつもりです。

 

一方で、今、日常的に顔を合わせる人たちとは

ほぼ繋がっておらず、その人たちに万が一

私だと知られたら嫌だな、という気持ちはある。

別に見られて悪い内容を投稿してるわけじゃない

けど、こんなこと考えてるのか、こんなことに

興味があるのか、と、ふだん会って話していない

ことについて知られるのは何だか嫌なのです。

 

 

長くなりそうなので、今日はここまでにします。

 

私の考えの行き着く先としては、

人間はあくまでも生身でしょ、という感じです。

いくらこうしてデジタル化が進んでも、その

技術を使うことはあっても、SNS上、ネット上の

言葉なり表現なりが、「その人自身」になって

しまうのは違うと思っていて。

 

対面重視という話じゃないし、

SNSとリアルの境目がくっきりあるとも

言えないんですが。

 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

よい一日をお過ごしください✨